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2014.6.22 Mシアター

昭和の大スターと名監督を偲んで ~松永武室長の当日解説を採録します~

 本日は足元のお悪い中、多数ご来場いただきありがとうございます。

灰汁が抜け、角が取れ、

優しく人々を包み込むように歌うようになった美空ひばりさんが亡くなって25年。

彼女が亡くなられたのは平成元年、1989年の今月6月24日でございます。

もう早いもので25年が経ちました。

彼女を偲ぶという思いで、

今回の上映会は「花と喧嘩」という映画を取り上げさせていただきました。

歌あり・笑いあり・涙あり、理屈抜きの娯楽映画で、

スクリーンの中で沢山お二人の持ち歌が披露されますので、

お楽しみいただきたいと思います。

実は、この映画を作った野村芳太郎という私の師匠にあたる映画監督、

「砂の器」なんかを撮った監督なんですね。

で、この映画を作るにあたってですね、

タイトルをどうしようかという事になりまして、

「LARK & BRIDGE」という題名が最初考えられました。

英語で「ひばり」と「橋」という事ですね。

しかし当時のお二人は紅白歌合戦でも大活躍していて、

ちょうど今で云う処の氷川キヨシのような存在でしたから、

先輩の歌手に遠慮されて、そのタイトルはちょっと考え直して…という事で、

ご覧のとおりの「花と喧嘩」という事に決まりました。

もう映画の内容については、野暮ったいので申し上げません。

ひばりさんが二役でご活躍の映画というのに留めさせて頂きます。

ひばりさんは円熟期に入る直前に亡くなられたんですね。

美空ひばりのファンクラブが福岡にありましてですね、

そのクラブに時々わたし呼ばれますけれども、

大きな公会堂に超満員でですね、彼女たちは決してその、

ひばりさんが「死んだ」とは言わないですね。

何処かに、カバンを持って、旅行に行ってるんですね。

だからその集まりでは、ひばりさんが「亡くなった」というのはご法度であります。

(映画上映終了後)

お楽しみいただけましたでしょうか。

美空ひばりという歌手に、ひとつの執念がありました。

夢と云いますか、

ハリウッドに負けないようなミュージカル映画を作りたいという執念がありました。

そのテスト版として作ったのがこの映画でしてね、

なぜミュージカル映画を野村芳太郎監督で撮りたいかと云うとですね、

彼女の代表作「伊豆の踊子」という映画で、彼女は野村監督に心酔しまして、

それ以来、是非将来は監督とミュージカルをと希望しておりました。

この後すぐ、いろいろな事情がありまして彼女は東映に移籍します。

それで野村監督はもう、ひばりさんは夢はあきらめたんだなと考えておりました。

ご存じのように彼女は九州公演の時に倒れまして、福岡の病院に入院しますね。

その時に野村監督は二度お見舞いに行っております。病室で、

「監督、わたくしが元気になったら是非ミュージカル映画を作りたい!」

と、泣いて懇願する姿を私は知っております。

…ですけども、彼女の夢は実現いたしませんでした。

これはあまり知られていない話なんですね、

そんな思いもありまして、この映画を取り上げました。

他愛のない映画ですけれどですね、

ひばりさんと野村監督にそういう思いがあった、

テスト版としての映画が「花と喧嘩」だったという事を、

私が元気なうちに、少しでも皆さん方に知っていただきたいと、

紹介させていただきました。

今日はどうもありがとうございました。

             野村芳太郎   2005年4月8日没

             美空ひばり   1989年6月24日没

                  おふたりのすばらしい業績に敬意を表して。

wriiten by おりおなえ

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